インタビュー:ベンチャー稲門会員 株式会社キャリア・マム代表取締役 堤 社長
「女性が結婚や出産によって社会で活躍することをあきらめている現状をなんとかしたい」、そんな想いを胸に2000年に法人化した株式会社キャリア・マム。昨今のコロナ禍によりテレワークの導入・推進が進む中、ネット社会の到来前から今日に至るまでインターネットを活用した主婦の在宅ワークを後押ししてきた同社の代表取締役でベンチャー稲門会会員でもある堤香苗氏にインタビューを行いました。
株式会社 キャリア・マム
代表取締役
堤 香苗 氏
神戸女学院高等学部、早稲田大学第一文学部・演劇専攻卒業。
大学在学中よりフリーアナウンサーとしてTV・ラジオのDJ、パーソナリティとして活躍。
結婚や出産に関わらず、仕事と家庭のどちらも大切に自分らしく働きたい女性たちの活躍の場を提供することを志し、株式会社キャリア・マムを設立。
女性の再就労支援実績が認められ、受賞歴多数。
「女性のキャリアと社会をつなぐ」を経営理念とし、ライフイベントを機に離職した女性たちの再就業や起業といった新しい働き方を推進しています。
内閣府 規制改革推進会議 行政手続部会 専門委員、中小企業庁 中小企業政策審議会 委員、経産省 2020未来開拓部会 スマートワークに関するワークショップ 構成員など官公庁の委員実績多数。
ダイバーシティ、女性のキャリア支援、テレワーク推進等のテーマで講演、執筆の幅広く活動中。
<保有資格>保育士、ホームヘルパー2級
◎創業の経緯を教えてください
フリーアナウンサー時代
起業する前、早稲田大学在学中に早稲田のアナウンス研究会――通称WAKの先輩から声を掛けて頂いて、個人事業主みたいな形でフリーアナウンサーをしていました。大学卒業後は、1年だけ演劇養成所に行きながら、引き続き、フリーランスとしてテレビ・ラジオのパーソナリティやイベントの司会の仕事はずっと続けていました。
ところが、子供ができてお腹が大きくなるとテレビ画面に映る仕事は出来なくなってしまったんです。フリーアナウンサーには、局アナのような育休産休はありません。
長男を出産した後、29歳でアナウンサーの仕事に復帰したんですけど、今のような支援制度のない時代のことでしたから、育児に時間を取られて仕事の準備さえもままならない状態が続いてしまったんですね。
起業当時
それで今後どうしようかと考えていたときに、初めて地元の公園に子供を連れて出たんです。そうしたら、普通のお母さんたちがとてもつまらなそうにしていて。このつまらなさは何からくるんだって考えた時に、「あ、この人たちが仕事をしてないからだわ」と思ったんです。
「じゃあ、なんで仕事をしてないんだろう」と考えると、その理由として思い当たるのは子育てしたり、介護があったり、あと当時――今から約25年前のことなので、外国籍であることや年齢や障がいがあるということで働くチャンスを得られない方もいらっしゃって。ましてや、1人親なんて子供が小さくてどうやって育てるのと思われて就職が阻まれていました。そういうことに、違和感や是正の必要を感じていました。
では、どうやって是正するかを考えた時に思いついたのが、「1人で1人前分働けないんだったら、10人で自分の1人前ずつを補えばいいんだ」ということでした。
こうして「在宅で、チームで、ワークシェア型で働きましょう」という今のキャリア・マムの原型が出来たんです。
運営するコワーキングスペースの風景
このような経緯ですから、はじめから法人化を目指していたというわけではなく、サークル活動のような出発でした。それがあるとき取引先から法人でないと発注できないという案件をいただき必要に迫られて会社を設立したというのが創業の経緯です。
よく「なんでそんなにずっと20年も続けてこれたんですか?」「その強い意志はどこからくるんですか」と聞かれるんですけど、全然逆です。
もちろん考えはあってのことですけど、どちらかと言えば上手く流されたという方が近いと思っています。
◎経営していく中で失敗挫折経験はありましたか?
オフィスで
実は会社を設立したばかりの頃に人に騙されて、当時の月商の約3ヶ月分くらい持っていかれました。
その時、ちょうど青年会議所の理事長に弁護士の先生がいて「堤さんが頑張るなら、最低の費用でサポートするよ」と言って下さったので、お願いして訴訟を起したんです。
その訴訟を起したとき、当時の夫に「そういうお嬢ちゃん経営だからこういうことになるんだ。みっともないから裁判なんかやめろ」と言われました。
その頃は、夫と私と、経理の子とアルバイトと4人でやっていたんですけど、経理の子が支払いを遅延してくれという電話を掛けられなかったんです。「メンタルやられますから社長電話をかけていただけますか?」って言われて、電話をして、人生初の土下座をして謝罪し、説明しました。「一括で払えないので分割でお支払いさせて下さい」と頭を下げて。「今もう私はこれしかできないから」と。
1カ月で体重も5キロほど落ちてしまい、周囲にもすすめられて、精神科に行きました。そうすると、ここに自分がいることが情けなくなってしまったんです。早稲田出て、アナウンサーやって、キラキラしてて、会社も作ったのに「なんで私ここにいるんだろう」みたいな。
カウンセラーの人に自分の状況を全部話したら、こんなに客観的に理路整然と自分の概況を説明できる感じは初めてだって言われました。私は仕事で泣いたのは2回しかないんですけど、そのうちの1回がそのカウンセラーの先生に喋った帰りだったんです。自分が情けなくて、申し訳なくて。
でも、バーッて泣いた瞬間に何かわかったと思って。
わかったというか、「自分は弱いんだ」っていうことを理解したんですね。
それまでは、すごい「私はできる」と思ってたんですけど。
でもそうじゃなかった。やってもできない。こんなできない人間だけど、自分を諦めないで、一歩前に進める。これは私が生まれてきたことの意味かもしれない、と思いました。
◎早稲田で良かったこと
高校は神戸女学院(兵庫県神戸市)っていう、大学まである学校だったんです。
そこに中学から入学して、そのまま外に出るつもりはなかったんですが、中学3年生くらいから女優さんになりたいと思うようになったんですね。
それで、女優さんと言えば、吉永小百合さん。吉永さんと言えば早稲田大学、という感じで早稲田を目指すようになりました。ちょうどその頃、神戸女学院の方に指定校推薦の話があったので、手を挙げたら選んで頂きました。
そんな感じなので、「一生懸命頑張って早稲田に入ろう」というよりは、「入っていいんですか、私が?」みたいな。ちょっとそんな感じだったんです。
当時はワセジョって、本当に全然誰からも声かけてもらえなくて。遊びに行きたくて、学校名は伏せてました(笑)
でも、人脈は買えないですから。
ベンチャー稲門会のような組織もそうですけど、早稲田だっていうだけで掛け値なしに信頼してくれる先輩方や後輩たちがいるわけです。
だから、今は早稲田OGであることは「すごい」と思っています。
あと、私は今、中小企業政策審議会っていう経済産業省参加の委員をやったり、男女共同参画やダイバーシティーなど、いろんなテーマのセミナーにお声かけして頂いたりしてるんですけども、私がここまで色々やらせて頂いているのも早稲田で学んだことが大きいと思っています。
「できる範囲の中」じゃなくて、自分がやりたいものはとりあえずやってみて、上手く行かなければやめればいい。「ここまでやったら痛いんだな」とか「ここまで振ったら人を傷つけるんだな」みたいなことの学びですね。
失敗体験の中で、「ああ、自分はまだここまで」っていう、自分の大地を知りながらも少しずつ埋め立てていって、どんどん自分の大地を広げていった方が、やっぱり面白い。
だから、楽ではなく楽しい。
事業を楽に終わらせるんじゃなくて、自分自身が生きていることの、痛みも失敗も鈍くささもみっともなさも全部含めて楽しい――「自分自身を楽しむ」っていう気持ちがあります。
やっぱり機会がありましたね。
早稲田だからこそ私が成長できた、みたいな。
◎これからの展望
東京都女性活躍推進大賞受賞式にて
私は右肩上がりの経営だけでなくていいと思っています。
今は「100年企業になりたいな」と思っています。
事業を大きくしてバンって売却して、売却益でまた次の事業をつくる、というようなアメリカのベンチャー型の考え方は、無理して真似しようとは思っていません。
でも、私にとって事業は子供のようなものなので「その成長を末永く見守りたい」という気持ちはあります。
で、そこに働く従業員たち、事業の関係者たちが幸せであるっていうことを考える。
もちろん、労働条件をよくしていくために成長させていかなきゃいけないけれども、急成長させたい――例えば鐘を叩きたいっていうのは、それは自分にとってどういう意味を持つのだろう?って思うこともあります。
今は創業経営者なので上場したら自分の債務保証がなくなります。
でも、「上場は1個の選択肢だけれどもゴールではない」と思っている感じですかね。
私は、上場できる力を持っている非上場会社が一番強いと思っていて、やっぱりそこを目指していきたいんです。
講演風景
だから、どこかのキャッチコピーじゃないですが、「選べる幸せ」ということを考えています。人生の中で選べることの幸せ。
女性だから選べないっていうのはすごいもったいないと思っています。
「女性でも年配の方でも障害者でも自分の人生を選べる」
そういう状態にするために、選べるだけの体力、財力、あとは自分の精神力を期待で高めていきたいと思っています。男性や若い人に負けないように、スピードをちょっと落としてもいいから、前に進む力だけは負けないように、と考えています。