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ベンチャー稲門会幹事 インパクトホールディングス福井社長インタビュー

ベンチャー稲門会幹事であるインパクトホールディングス福井社長にご登壇いただき創業から上場、上場後のビジョン等についてインタビューさせていただきオンライン配信を行いました!インタビュアーはベンチャー稲門会事務局長の戸塚が務めました。
本番前後のインタビューの様子を以下に記載しますので、是非、ご覧ください!

① 創業から上場まで

■創業時の心境

戸塚 
福井さんは新卒で三和銀行に入社され、その後セブンイレブンジャパンに転職されました。創業をされた当時の思いについてお聞かせいただけますか?

福井 
35歳まで普通のサラリーマンだったのですが、いつか起業したいみたいな思いはあったんです。祖父や親父が経営者で、いつか経営したいという思いはどこかでありました。その中で、まず三和銀行で勉強しようと思って銀行に入社して、結婚して子供も生まれて、となってくると35歳でゼロから踏み出すって非常に難しいですよね。
でも三和銀行、セブンイレブンという大きい会社で金融とリテールを学んで「セブンイレブンのビジネスモデルをアウトソーシングできるのはニーズがある」という自信があったんです。万が一だめでも、創業した経験値を買ってくれるところはあるだろうと思っていました。だから今からすれば、その時はまだ覚悟が足りなかったと思うんですよね。だめだったらだめで、またサラリーマン戻ればいいか、と。創業した経験値を買って採用してくれる会社もいるだろうと。
また、そもそも自分はいつか起業したいと思ってセブンイレブンに転職したので35歳のうちに起業しようと決めてました。

戸塚 
セブンイレブンでは子会社の立ち上げもされていたんですよね?

福井 
そうですね。子会社のセブンドリーム・ドットコムの立ち上げをやってました。この頃は当時のベンチャーと関わる機会も多かったです。楽天と同じ時期に同社ができて、ソニー、野村総研、NEC、JTB、イトーヨーカドーとか名だたる企業が出資してできた会社だったんですが、実は最初からうまくいかないなと思っていました。
大企業の集まりだし、リーダーシップを持っている人はいないし、立ち上げの途中で嫌になって「現場に戻してくれ」と訴えたこともありました。でも、「最後までやりきれ」ということで戻してもらえず、案の定うまくいかずに楽天とどんどん差がついてしまった。
やっぱり新しい領域とか挑戦しようと思ったら、大企業でやっていて戻れる場所があるとか、そういう中途半端な覚悟ではだめなんだろうなと思いました。その時は毎日7時から23時まで働いて神奈川の茅ヶ崎に住んでいたから遠くて大変で、「死ぬほど働いているし成果もものすごく出しているな」と思っていました。
でもやっぱり自分の会社を創業してからの方がもちろん大変だし、もっと働くし、所詮リスクを負っていなかったら、社内ベンチャーで大きくなっていくっていうのはよっぽどビジネスモデルに長けてないと難しいだろうなと思いました。

■創業メンバー

戸塚 
35歳で創業した当初の採用についてお聞かせいただけますか?

福井 
創業の時はだめならやめればいいかと軽く考えていましたし、創業当時は独身しか採用しないんだと決めてました。責任取りたくなかったんですよね(笑)。
最初の5人ぐらいはそうして採用してました。その一人の石田は役員になってます。石田は当時独身で元気で、「結婚する気ないっすよ」みたいなとこがいいなと思ってました(笑)。
それからやればやるほど社員も増えて、外部から資金調達をし始めると同じようにはしていられなかったですね。

■上場しようと考えた背景

戸塚 
上場しようと考えた背景についてお聞かせいただけますか?

福井 
どうせ挑戦するんだったら上場する会社を作りたいと元から思ってたんですよね。三和銀行に入って配属された土浦にはカスミグループ(現在イオン傘下)とか、ココス(現在ゼンショーホールディングス傘下)とかの本社があったんです。上場してる会社の幹部とかにお金持ちが多かったんですよ。惣菜を作ってたおばちゃんとかが100万、200万がポンポン振り込まれてきてて、何だろうと思ったら「持ち株会で株を売った」とかね、「なるほどな」と思って、「株があれば上場すると従業員にとってもメリット大きいんだな」と知ったんです。
私がセブンイレブンに入社した当時、6,000店舗だったんですけど、退職する時は13,000店舗ぐらいになってたかな。掛け金最大で持株会をやってたらそれが約三倍の1,300万円ぐらいになって、それを元手に会社を始めたんですよ。「株ってすごいな」と思って、どうせやるんだったら従業員のためにも、上場するような会社にしたいという思いを強めました。結局、上場前にストックオプションで15回とか株を配っていたんですよ。従業員にメリットがあるようにしたかったんです。ものすごくたくさん株を配ってます。
うちは幹部じゃなくてもお金持ちの人はたくさんいますね。上場前からいるメンバーは本当にハッピーだと思います。大盤振る舞いしてます。そもそもそうして会社を作りたいと思っていたから、目的に沿っているんです。

戸塚 
会社を大きくして株価を上げて、結果、従業員の方へ還元されることに魅力を感じられていたんですね。

福井 
そうですね。そうなんだけど、2期目に「株を売って100%子会社になりませんか」って話があって、「そうしようかな」と思ったことがありました。まだ覚悟がなかったんですね。人材派遣会社と組んで「Market Watcher」を使って覆面調査とかラウンダーをやりたかったんですよ。人材を抱えているところと提携しようと思ったらある人材派遣会社が興味を示してくれて。株を売ってもいいかなと思ってかなり話も進めていたんですが、たまたま日経新聞に載せてもらった当社の記事をタリーズコーヒージャパン創業者の松田公太さんが見てくれて「タリーズでも覆面調査やってあげるから来なよ」と話があったんです。
そこで「実は」と話してみたら「そんなのやめなよ!」と言われて。迷ったんですけど子会社になるのはやめて、公太さんが2,000万円、その人材派遣会社が1,000万円、その他の企業が出資してくれて、結構その時は話題になったから2期目から新卒の採用もできたんです。会社は簡単に黒字にはならなくて人もどんどん入ってくるし新卒も取っちゃったしやばいなと思っていました。当時は3年やって赤字だったら会社を畳めみたいな空気があってやばいなと焦って、人が辞めていったりしました。そのときにブックオフの創業者の坂本さんと知り合って稲盛さんの盛和塾に入れてもらって、勉強して「会社が3年経っても4年経っても赤字なのは自分が成長しないからいけないんだ」と気づいて、自分を変えていく勉強をしていったんです。そこから会社がよくなっていきましたね。5期目で初めて黒字になったんです。

戸塚 
いろんな人のご縁が重なってきているんですね。

福井 
そうですね、僕はすごく運がいいですよ。松田公太さんも、たまたま同じ銀行の一個上の先輩で。同い年で一緒に遊びもしましたし。それから、ビットバンクの廣末社長が早稲田の同期でした。彼は理工で元々野村證券に勤めていて、まだGMOがこれからっていうときにGMOに入って常務までやって、熊谷さんの右腕みたいにしてずっと働いていて。
そのあと自分で起業したり、ガーラという上場企業の社長を4~5年やったりして今は自分でビットバンクという会社を立ち上げてやっているんです。廣末君はもう大親友で、お互いの結婚式でスピーチしあうぐらいです。早稲田大学の大親友もGMOで成功していて、銀行の同期で仲良かった松田さんも大成功していて、すごい身近な友達が成功していて「自分にもできるんじゃね?」という思いもあったんです(笑)。すごく刺激されて、なおかつ応援してもらいました。出資してくれた人材派遣会社も実は廣末君から紹介してもらったんですよね。色々な人との縁ですよね。

戸塚 
早稲田大学のつながりも多いんでしょうか?

福井 
早稲田のつながりも多いですよ。ワイズテーブルっていうレストランチェーンが上場した時の副社長で、マイナビブリッジを作った庄司君という人がいるんですけど、今はワイズテーブルの役員をやっています。ちょうど僕が起業した時に彼はもう副社長だったんでいろんな飲食業の会社を紹介してもらいました。
廣末君は同じサークル、庄司君は同じ法学部だったんですが、庄司君はお互いに知っている程度でした。創業してからは応援してくれたり株を買ってくれたりもしていたから卒業してから仲良くなった。そういうつながりはすごく大きいですよね。

■上場するのに必要なこと

戸塚 
上場する上で必要な心構えを教えていただけますか。

福井 
僕が上場したときって民主党政権で結構上場の審査も厳しかった時期なんですよね。
でもベクトルさんとかAPカンパニーさんとかが同級生かな。上場するのももちろん大変なんですけれども、上場した後はもっと大変だと思うんですよね。今は赤字でも上場して一気に1,000億円とかつく会社もあるけど、そういうのは稀だと思います。うちもそうですけど地道な会社の方が多いと思うんです。「上場したはいいけども」という会社もたくさんある。お金持っちゃうと働かなくなる社長もいますから。

戸塚 
「上場ゴール」にしない心構えが必要ですね。実務的に必要なことはたくさんあると思いますがいかがでしょうか。

福井 
節税を一切しなかったです。税金払うことって社会のためだし、稲盛さんも松下幸之助さんも仰っているんですが、その基本的なことをちゃんとできるかどうかは大切だと思います。
日本は節税が大好きなんですよ。銀行も税理士も節税アドバイスばかりするんです。あれはおかしいと思っていて、本来は税金払う人が一番偉いんだと思います。納税こそが称賛されるべき行為であって、散々何十年も税金払ってなくて節税対策ばかりやっていざ会社を譲るときに「会社の価値がほとんどありません」って「当たり前でしょ」と思うんです。上場する会社は納税にたいする意識を変えないといけないと思います。会社が公のものであることに対する意識が、すごく大切です。

戸塚 
公の器になることへの意識を持つ必要があるということですね。上場準備はいつからされていたんでしょうか。

福井 
3期目から監査が入っていました。証券会社も3期目からずっと見てもらっています。4期目の終わりに博報堂から1億円、住友商事から5000万円、オリックスが5000万円、東急エージェンシーから3000万円とファイナンスしたんです。3期目から監査も入れて売上の計上基準もちゃんとしてたからそういうファイナンスがやりやすかったと思います。

戸塚 
早いうちから監査をしていたのが上場につながったんですね。

福井 
そうですね。どうせやるんだったらそういう会社を作りたかったし、きちんとやって外からお金を集めてました。
競合はチケット制にして、チケットを売った時に売上計上していたりします。すると利益率がものすごく高くなるような見せ方ができてしまう。ちゃんとした監査が入っているとそういう操作は許されないんですね。そういう意味では最初からちゃんとやっていたのは、投資を受け入れる際に非常に役に立ちました。いくらでもやりようがあるからこそちゃんとしておかないといけないですね。

② 上場からこれまで

■上場の前後で変わったこと

戸塚 
上場前後でどんなことが変わりましたか。

福井 
前後で変わったことは実はあまりなかったです。上場後も同じペースで働いているし、株も当時はほとんど売らなくてお金が手元になかったから、大きく変わったことってないです。ただ、去年は株を売ったんですよ。そのときはいろんな人が寄ってきたりしたけど、それまでは「ほんとにお金ないから」みたいな感じでね(笑)。上場前後はそんなに変わらなかったですね。

戸塚 
上場時に株を売却しなかったのは何故でしょうか。

福井 
上場はステップだと思っていたし、これを機に本格的な経営が始まるという感覚でいました。上場時は30~40億円の時価総額でした。ここで株を売っても、僕だけが10億円とかをもらってお金持ちになるんですよ。他のメンバーがもらえるお金はせいぜい何百万円という世界です。そんなのじゃ足りないと思って、もっと株価もちゃんと上げないといけないし、もっと社会に貢献するために会社を大きくしなくちゃと思っていました。だから結構真面目に上場した会社です(笑)。でも、やっぱり上場したら焦るんですよ。もっと業績あげなくちゃとか。M&Aで失敗もしましたし、それも全部経験だったわけですが。
上場したら資金調達がデットでも引きやすくなるので、上場前は1億円の借入で大変だったのが10億の借入もできるようになったし、上場させてもらったおかげで従業員も増えました。会社をスケールアップするすごいいいチャンスをもらったから、社会の期待に応えないといけないな、と感じていました。株価がすごく下がって大変な時もありますし色々さらされるし悪口も言われるけども、大体、創業者が社長をやっている会社って少ないと思うんですよね。3,700社のうち何社あるんだろう。年間50社ぐらい上場するけど、創業社長は30人ぐらいだと思う。同じ学年で30人しか上場できないなら、すごい確率。そういう風に経営をやらせてもらっているというのは、ラッキーだとしか思っていません。僕みたいに35歳までサラリーマンをやってた人間が、40歳半ばでそんな立場になっているというだけでラッキー。「なんちゃって」で始めたんですよ(笑)。
でも、その「なんちゃって」もどんどん大きくなってくるし、会社の器が大きくなるということはより多くの従業員を幸せにできることになるんです。

③ これから

■今後のビジョン

戸塚 
今後のビジョンをお聞かせいただけますか?

福井 
ここまで会社を大きくできると思っていなかったんですよ。でもせっかくここまで来たんだったら、もっともっと自分がやれる限り全力でやりたいと思ってます。特に去年はインドでいろんなトラブルもあって本当に死ぬかと思いました。「これで自分の起業家人生終わりかな」という時期もあったし、すごく嫌な思いもした。
でも今も経営している。生きてる限り、社長やっている限りはこの会社の器をもっともっと大きくしていきたいし、インドものすごい大きな挑戦です。ちゃんとしたビジネスモデルで1,000億円とかの会社にしていきたいです。うちみたいな地道な業種は利益ももっと出さないといけないし、もっと従業員も増やして、もっとM&Aも成功させないといけないし、インドだって店をもっともっと出していかないといけない。その積み重ねでステージが上がって、50年、100年続いていく会社にできると思うんですよね。

戸塚 
そのために必要なことは何でしょうか?

福井 
一番必要なのは、私自身がもっと成長することだと思います。今、当社の従業員は400人強ですが1000人の会社を経営したことはありません。1,000億円の会社も経営したことがないですからね。ましてやインドの事業は、当社程やっている会社自体少ないんですよ。だから僕自身の器を成長させないといけないなと思います。大体、ある程度成功すると働かなくなる人が多いんですよ(笑)。「もっと働けばいいのに」と思う起業家はたくさんいますよ。そりゃ僕も24時間365日は働かないですよ(笑)。休んで考えることも大切です。それでも、自分でもすごく働いてると思います。営業も自分で行くし、プレゼンも自分でやるし、それは「会社をもっともっと成長させていきたい」という思いからです。こんな私のような平凡な人間にここまでやらせてくれている社会、去年死にそうになったのに生かしてくれている人たちに恩返しをしたいと思っています。「こういう人間でもここまで来れる」というのは是非、若い早稲田の関係者に伝えたいです。躊躇して起業できないみたいな人もいるじゃないですか。でも踏み出せば、できます。

戸塚 
最後に力強いお言葉をありがとうございました。大変、勉強になるお話をお聞かせいただきました!

ベンチャー稲門会の会員の皆様には当日の動画もご視聴いただくことができます。会員限定の交流会も実施しております。
入会資格は早稲田卒の経営者のみですが、該当される方は是非、ご入会ください!

■登壇者プロフィール

インパクトホールディングス株式会社
代表取締役社長 福井康夫様

1991年 早稲田大学法学部卒業、旧三和銀行に入行。
1995年 株式会社セブンイレブン・ジャパン 入社。神奈川地区にて、店長及びスーパーバイザー等のフィールド業務に従事。
2000年 情報システム本部に配属。店舗システム推進、IYバンク(現 株式会社セブン銀行)、イーコマース子会社 株式会社セブンドリーム・ドットコム等の新規事業の立ち上げを経験。
2004年 株式会社メディアフラッグ(現 インパクトホールディングス株式会社)設立。株式会社セブン‐イレブン・ジャパンでの約8年に渡る業務経験を活かし、事業コンセプトは、『「IT」と「人」をキーワードに流通業界に新しい価値を創造する』。まさに株式会社セブン‐イレブン・ジャパンの強さと価値を知り尽くし、流通向けのアウトソーシング事業を展開する。

株式会社日本M&Aセンター
ベンチャー稲門会事務局長
戸塚直道(インタビュアー)

2015年 早稲田大学基幹理工学部数学科卒業、大和証券に入社。
2018年 株式会社日本M&Aセンターに入社。
2020年 ベンチャー稲門会事務局長に就任。

■撮影協力

株式会社LIFE.14(ライフフォーティーン)
取締役副社長  豊 慎之介 氏

企業HP:https://www.life14.com/top

ウェビナー等のライブ配信をフルパッケージで提供されています。
以下は、当日の撮影の様子です。
機材、オペレーション全て依頼可能ですのでご関心ございましたらHPよりお問い合わせください!

■協力

インパクトホールディングス株式会社 松本 庄平 様

■運営スタッフ

ベンチャー稲門会事務局 小林・川浦

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